出よ河村道場卒業生−“首席”イチロー超えろ
           <2003年4月29日付け「中日スポーツ」より引用>


 中日の屋内練習場(名古屋市西区)に“熱血道場”が誕生した。隣接する合
宿所の若手選手たちが、夕食後、集まり、打撃練習。眼光鋭い“道場主”は、
今年から中日のユニホームを着た河村2軍打撃コーチだ。あのマリナーズ・
イチロー外野手を育てたことでも知られる同コーチは、合宿所に住み、寝食
を共にしながら指導に当たっている。

 午後7時前、屋内練習場に照明がともる。その明かりに誘われるかのよう
に選手が次々やってくる。仲沢、土谷、湊川、森岡…。あすを担う若竜たち
だ。2人ずつペアになり、まずはティー打撃が始まる。その後、1人約25分
のマシン打撃へと移行する。乾いた打球音。その直後だ。野太い声が響き渡
った。

  河村コーチ「そうじゃないだろ! 手の甲が上を向くのは、もっと後だ。
        体の近くを通そうというイメージだよ!」

 注意ばかりでなく、時には

  河村コーチ「よし、そうだ。今の感じを忘れるなよ」

 お褒めの言葉も出る。さらに身ぶり手ぶりの熱血ぶりに、河村コーチの顔
から汗がしたたり落ちていく。

 選手たちは打った順に合宿所の自室へ戻っていくが、短時間でも高密度。
午後9時に最後の選手が打ち、この夜の練習は終わった。

 昨年、2軍打撃コーチを要請されたとき、河村コーチは合宿所住まいを希
望した。

  河村コーチ「できれば一緒に住んで若い選手とともにしたい」

 球団も願ったりかなったりだった。門限付きの合宿所住まいを最近の指導
者もなかなか希望してこない。

  河村コーチ「私がゆっくりするのはオフでいいです。それよりも、あの
        子たちを何とかしたい。せっかく選ばれてプロにやってき
        たんですから。原石はしっかり磨いてあげないと。春のキ
        ャンプを含めて、2月から約3カ月間(夜間)練習を続けて
        います。今のところ、予定通りにきています」

 自身の子供より年下の選手たちと、同じ合宿所で寝起きしながらの指導。
野球が大好きな“教え魔”には、合宿所は格好の住み家だ。

 近年の中日には、即戦力となる逆指名入団の大学生、社会人が少ない。多
いのは“発展途上組”の高校生。それだけに、指導者の存在が大きくなる。

  河村コーチ「その分、鍛えがいがある。数多く振ればスタミナを養い、
        基礎体力の強化にもなる。何より、振らなきゃ眠れないと
        いうぐらいになってくれるといいね」

 練習は3勤1休。だが、休みの日も選手は自主的にウエートトレに励むよ
うになった。やる気の向上も同コーチの予定通りだ。

  河村コーチ「毎日、朝7時に起きてから半日以上も顔を見てますから、
        選手一人ひとりのことがよく分かります。人前で怒ったら
        いけない子もいれば、逆に皆の前で怒らないといけない子
        もいる。自分も辛抱強くなりましたね(笑)。僕も毎日疲れ
        切って、10時半にはバタンキューですよ」

 非力といわれていた仲沢が早くも3号アーチ。フリー打撃に向かう本人に

  河村コーチ「たいしたモンだ。うれしいだろ?」

 声を掛けるやさしさ。

  河村コーチ「結果が出ればうれしいものですよ。やる気もますます出て
        きますからね」

 自信満々だ。指導にも熱がこもる。相乗効果だ。

 「練習が嫌なら、1軍に行きなさい!」。河村コーチはこの言葉でよくハ
ッパをかけている。

 オリックスのコーチだった河村コーチは、イチローに付き合って、あの振
り子打法を完成させた。

  河村コーチ「イチローには“これで食べていかなきゃ”という願望が強
        かった。ハイレベルなものを追っていたから、振って振っ
        て振りましたねえ」

 熱血の道場主は、“卒業生”の中から、第2のイチローが現れることを切
に願っている。

  森岡   「夜間練習を続けて、打つ体力がついたと思う。河村コーチ
        はバッティングのことについては厳しいが、私生活につい
        てはあまりうるさく言わない。イチローさんに、少しでも
        近づけるように頑張りたい」
  湊川   「毎日、河村コーチがついてやってくれる。ありがたいです
        ね。大学時代も夜間練習はあったが、コーチがずっとつい
        てくれるようなことはなかった。1年目だし、すべてが勉
        強。多くを吸収してレベルアップしたい」

※いわずと知れたイチローの師−気付くという能力高い
 河村コーチはオリックスのコーチだった1992年から2年間、1、2軍を行
き来していたイチローを指導。93年に長く2軍にいた時期には徹底した打撃
フォーム固めに努め、イチローも“師”と仰いでいる。

  河村コーチ「イチローの一番の良さは“気付く”という能力が高いこと。
        バッティングでは自分のいい状態がしっかりとチェックで
        きていました。だから悪い時にはバッティング練習をさせ
        ず、ノックばかりをさせていました」

※荒川−王、広野−平野、名選手の陰に名指導者
 最近の夜特といえば、村田広光・昇竜館館長のウエートトレぐらい。「練
習は昼。夜は自主性に任せる」というものだった。言い換えれば、それだけ
夜もつきあう熱心なコーチがいなかったともいえる。荒川−王、広野−平野
というように、昔から名選手には必ず熱血指導者がいた。

※河村健一郎(かわむら・けんいちろう)
 1948年2月26日生まれ、55歳。山口県出身。芝浦工大から日石を経由して
 1972年に阪急に捕手として入団。オリックス、巨人でコーチをしたあと、
 今年から中日の2軍打撃コーチに就任した。幸子夫人との二人暮らし。