小林が投げ込み
<2003年7月20日付け「中日スポーツ」より引用>
中日2軍は19日、ナゴヤ球場で練習。今にも雨が降りだしそうな曇り空の
なか、ブルペンでコース、球種を変えながら投げ込んでいたのがルーキーの
小林だった。
18日の紅白戦で2イニングを無安打無失点に抑える好投。13日のフレッシ
ュオールスターでは、1イニングを1安打1四球。走者を背負いながらも無
失点で切り抜けていた。
小林 「調子は少し下降気味ですが、悪いなりに抑えています。春
先は少し打たれただけで(球の)抑えが利かず、点を取られ
ていましたから」
特に5月27日のウ・リーグ、ダイエー戦から6月25日の同近鉄戦まで約1
カ月は、8試合に投げて計6イニングを無失点。
小林 「粘り強く、しのぐことができています。でも、もう少し速
球の切れというかビュッというものを出したい。そうすれ
ば変化球も生きるはずですから」
プロのレベルは分かってきた。後半戦は自らをさらに鍛えながら、結果に
もこだわる。
小林 「競った場面で使ってもらって、いい経験になっています。
上を意識して工夫していきたい」
小林きょう2度目先発
<2003年7月1日付け「中日スポーツ」より引用>
プロ入り初先発(4月18日サーパス戦)で初勝利を挙げたルーキー小林が1
日、ウエスタン・リーグ後期初戦の近鉄戦(藤井寺)で2度目の先発マウンド
ヘ上がる。
“先発”へのこだわりはずっと持ち続けていた。初勝利以降は中継ぎでの
起用が続き、前期はチーム最多の17試合に登板。それが小林にはプラスに作
用した。
失敗をそのままでは終わらせない。プロで生きていくための術を失敗から
学んでいく。
強烈なプロの洗礼を受けた。5月11日のサーパス戦に中継ぎ登板。1イニ
ングを投げ2死後から3被弾を合む9失点。
小林 「あの時はさすがにショックでした。自分の精神的な甘さを
感じた。打者に対して弱気になった」
ふがいない自分を反省した。
投手に適時打を浴びた試合もあった。
小林 「ナメていたわけじゃないけど、自分の中で抑えて当然とい
う余分な考えがあって、多少腕の振りが緩くなった」
すべてが経験として積み重なっていく。
小林 「失点は全部いい勉強になっている。反省を忘れずに、次に
生かすことが大切」
厳しさは分かっている。「プロは結果が出ないと出番もない」。その結果
を出すことによって、再び先発のマウンドを手にした。
小林 「先発になっても5イニング(責任投球回)を投げることだけ
を考えるんじゃなくて、今まで通り、1人ひとりアウトに
取っていく気持ちを忘れずにいく。その結果が長いイニン
グを投げることにつながれぱ」
大学の同期・久保(巨人)は一足早く1軍で活躍している。
小林 「刺激になる。負けているわけにはいきません」
自信つけた小林
<2003年6月14日付け「中日スポーツ」より引用>
ルーキー・小林が自信をつけてきた。12日のウエスタン・リーグ、広島戦
で8回1イニングを投げ三者凡退。9回に高橋光が逆転2ランを放ち勝利投
手(2勝目)になった。
小林 「やっと学生時代のような球が投げられるようになりました」
イメージ通りのフォームになってきたと話した。
都コーチ 「ここ数試合、ボールが良くなっている。投げるイニングを
増していきたい」
目を細めた。
阪神戦(くまのスタジアム)ではMAX143キロを記録。広島戦でも常時MAX140
キロ台を投げられるようになってきた。カーブでカウントを稼げるようにな
るのが今後の課題。
同じルーキーの植が左肩痛で、フレッシュオールスター戦の出場を取り消
した。
大橋監督 「小林に代えたよ」
これを聞いた小林は大喜びだった。「頑張ります」と雨天中止になった藤
井寺球場で、アメリカンノックを必死になって受けていた。
小林にプロの自覚
<2003年4月13日付け「中日スポーツ」より引用>
4月9日の広島戦でウ・リーグ初登板を果たした小林。5回に中継ぎとし
て登板。1イニングを2奪三振を含む3人でピシャリと抑え、最高のデビュ
ーを果たした。だが、この好結果にも満足はしていない。
最初に対戦した打者にいきなりボールスリー。結果は中飛に打ち取ったが、
小林 「もし塁に出していれば展開も変わったかも…。
1球目から納得のいくボールを投げる難しさをを知った」
大学時代に中継ぎの経験はなかった。2軍投手陣のレベルも高く、いつ出
番があるか分からない。常に投げられる体と精神状態を保つことも覚えなけ
ればならない。
小林 「レベルアップと同時に、意識をしっかり持っていきたい。
毎回同じ状況じゃなくてはいけない」
プロの自覚はできている。